サウスダコタ、ネブラスカ、そしてキャンザスへ
- sachikoyokoji
- 2016年11月3日
- 読了時間: 4分
サウスダコタ、ヤンクトンへ
ローラが旅の日記に
ビッグマディ(大泥川)と記したミズーリ川。
120年以上前、大きな川を渡ることは、未知の場所へ旅がすすんだことを、
今より感じたのでは。

キーストーンを出発して同じサウスダコタのヤンクトンへ。
1894年7月23日
ローラたちは、幌馬車でこのミズーリ川を渡りました。
当時は幌馬車ものせることができる、ロープフェリーという
渡し舟でこの川を渡ることができました。
”わたしたちが渡ったところでは、ミズーリ川は、幅が1マイルもあり、
じつにきたなく、泥だらけだった。
ビッグ・マディ川(大泥川)と呼ばれているのもうなずける”
ー わが家への道より ー
幌馬車の旅というと
地平線見渡せる大平原を、
己を頼りに、孤独に旅するイメージがあったけれど、
ローラが大人になった1894年当時は、
多くの人が、何とか食べていこう、よい土地を手にいれよう、と、
それぞれが、家財道具一式を幌馬車に載せて、
大移動していた時代でした。
ローラの娘、ローズが大人になって書いたものがあります。
”私たちのうしろには、幌馬車がいた。
そのうしろにも、またそのうしろにも、幌馬車がいた。
目の届くかぎり、うしろまで、幌馬車が長い長い列をなして並んでいた。
その列の向こうや、上の方、
そして空のほどまでも、
黄色い土ぼこりが、うずまいていて、こちらにやってくる。
母が私にこう言った。
「あれが、ダコタの見おさめよ」”
ー わが家への道より ー
土埃うずまくダコタの平原に
見渡す限りの幌馬車の長い列。
壮観な幌馬車ラッシュの様子が伝わります。
のちに、この旅のことは話したくもない、と
娘ローズに語ったというローラ。
でも最後のこの文を読むと、読んでいるほうまで
まだ見ぬ新しい土地への期待で
心が高揚します。
ローラ・インガルス・ワイルダー著
”わが家への道”

ヤンクトンには、1924年に作られた
米国で一番長い、人が歩ける古い橋があります。
2008年に新しい橋ができたので、この橋は御用済み。
今は散歩する人が、ときおり通るくらい。

新しい橋は、車、大型トラックがぶんぶん走っています。
今は、広い広い大泥川と言われたミズーリ川を渡るのも、
”ぶん”という間になりました。

キャンザス州、メアリーズヴィルへ
コーシャーハウス Koester House Museum
メアリーズヴィルの最初の銀行家の1人、
チャールズ・コーシャーの邸宅。
旅の日記、「わが家への道」に出てくる当時のまま残っています。

1894年8月7日、ローラたちは、ここ、キャンザス州、メアリズヴィルに到着しました。
” 午後4時に、ブルー川のほとりにある、マーシャル群の
県庁所在地、メアリズヴィルに入る。(中略)
町で、たくさんのきれいな家と、御殿みたいな住宅を2軒見た。
その一軒は、高さ5フィートほどの、厚い、見るからに頑丈そうな、
どっしりとしたれんがべいに囲まれている。
表門の両側には、みかげ石の大きなライオンがうずくまっており.......”
ー わが家への道より ー
ローラが息をのんだこの素敵な邸宅は
現在は博物館として公開されています。
メアリズヴィルの町の最初の銀行家の1人、
チャールズ・コーシャーによって
1876年に建てられました。
チャールズ・コーシャーはドイツ系移民で、
メアリズヴィルの町の有力者の1人。
彼は、1876年、シルヴィアと結婚。
女の子2人と男の子1人、3人の子供が生まれました。
チャールズ・コーシャーと妻のシルヴィア、3人の子供たち

しかし、この美しい奥さんは、
子供たちが、6歳、4歳、下の男の子はたったの2歳のとき
35歳の若さで、肺病で亡くなってしまいました。
美しい調度品で飾られた家だけれど、
その悲しい物語を知ったあとでは、
すべてにグレーのヴェールが
1枚かかったように感じました。
2階の子供部屋
子供たちの靴もそのままに。

家の中にある幼い子供たちの写真を見ると
必ず、亡くなったお母さんの写真が、
ポーズをとる子供たちのうしろにたてかけてあり、
あたかも、お母さんも
一緒に撮影しているかのようにしてありました。
胸が痛くなりました。
ローラが旅の途中に
外から見た、目をみはるこの立派なお屋敷の中で、
そんな家庭の生活があったとは
一介の旅人のローラは想像もしなかったことでしょう。
入り口のみかげ石のライオンたちは、
ローラが日記に記したそのままに、122年の間、”うずくまり”続け、
この家の歴史を、ずっと見守っていたのでした。
コーシャーハウスの庭園

コーシャーハウスを後にして、
メアリズヴィルの町中へ。
Hozzászólások